命びろい

続 生と死の分岐点―岩と雪の世界における安全と危険

続 生と死の分岐点―岩と雪の世界における安全と危険


私は40代初めに3年程だけ山登りをしていました。
それも子ども連れのハイキングから始まって
山好きになり、ある山岳ガイドの方のHPの掲示板があまりにも盛り上がっていて
…登山に関係のないくだらないことでw


そこにお邪魔するうちに、なんだか皆さんとお友達のようになってしまいました。
後で訊いたら、山岳救助に駆り出されるぐらいのレベルの山岳会のOBさんたちだったということで
その世界を全く知らないからこそ、ネットで親しくなれた訳です。


ガイドの方は中部在住の男性で同じくらいの年齢でした。
その時はガイドとしては始めたばかりの実家の家業は魚屋さんという
「活魚料理のできるガイドとしては世界唯一!」というキャッチコピーに
半分、冗談で「いつか、機会があったらお願いします」と書き込みをしていました。


そうしたら
「偶然、関西に研修があって行くので、お試し期間で無料でご案内しますが、いかがでしょう?」とメールが来ました。
さあ、大変「ええ〜〜〜!?突然会って、山に行く?」
穴を掘って山中深く埋められたらどうしよう?
・・・などと大変失礼なことを考えつつ
H県のR山の登山道の入り口で待ち合わせをしました。


なんと、お会いして1分で意気投合しました。
飄々とした風情の山が好きで好きでたまらない気持ちがよくわかりました。
ごく普通の登山ルートですが2時間かかって見晴らし台まで行き
私はおにぎり、ガイドのTさんはパンを食べて
下りはゆっくり3時間ほどで下山して
今度は本気で「また、機会があったらお願いします」と言いました。


それからは、御在所岳、白山、大峰山系etcとずっと個人ガイドをお願いして来ました。
私は薬を必ず飲まなければいけないし、同じコンディションを保つ為には
団体でのツアー登山は無理だからです。
寡黙な方だったのか、そうしてくださっていたのか
(登山は危険を伴うスポーツですから、病気のことはお話ししていました)


いつも1人で歩いているようでも、必ず私の足元を確認して
危険な個所ではロープで確保してくださっていましたが
私はそそっかしいのか運動神経が鈍いのか
谷底に落ちかけたことも、雪道で足を滑らせて滑落寸前まで行ったこともありました。
ライミング(岩登り)の初歩を習った翌々日は身体じゅう傷だらけでした。
天候不良の為、寸前で頂上まで行くのを泣く泣くあきらめました。
それでも、山での出来事は楽しかったとしか記憶にありません。


介護の仕事が忙しくなって、やっと久しぶりに山に行けるという数日前
駅の電光掲示板に日本の登山隊がヒマラヤで遭難という文字が流れました。
行方不明者のお名前に友人として聞いていた名前がありました。
私の悪い予感は当たっていました。


状況が状況なので「今回はキャンセルでも結構ですよ」と伝えた所
「そんなことをしても友人は喜びません。それに、もう何人も仲間の葬式に行っています。
残された御遺族の為にも私たちは冷静に普通に仕事をした方がいいのです。
mahoさんが心情的に嫌ならキャンセルをお受けしますが。」とそのまま決行となりました。
ご友人は雪崩に巻き込まれて亡くなったそうです。

いつだって事故にならなかったのは運がよかっただけ


いまは登攀ガイドであり、国立登山研修所の講師もされているTさんには1年に1度だけ
年賀状か、明けましておめでとうメールを入れます。
たくさんの顧客の中の1人であるだけだろうに(電波が届かない山にいる以外なら)
必ず心温まる返信が届きます。


本書の訳者あとがきには

「ある危険を知識として知っているだけなら、まだ半分しか知らないのと同じ・・・」であり、
教訓を得るには「苦痛を伴う体験」が必要なのだろうか。


…とあります。
来年の年始のメールには私は何が書けるだろう。
「ロープで確保しないで浮石踏んで、落石事故にもあってしまいました…。


でも、生きています。手も足も動きます。
自分の弱点を強烈な苦痛と共に学びました。
まだ、あきらめてはいません。
もう1度、体制を整えて再度、登ります。」


きっと、そう書けるように、、、健康を取り戻したいと思っています。